アボリジニ政策の転換後、アボリジニの人口は増え始め1991年の調査では26万5千人いるとされた(2008年には島嶼部を入れて46万人で全人口2000万人の2%)が、白人入植時を依然下回っている。
また、諸政策にもかかわらず、アボリジニの失業率は高く平均収入は全オーストラリア平均の半分ほどで、彼らの収入の大半は政府からの福祉手当、失業手当によって構成されている。
随分改善されてきてはいるが、一般オーストラリア人と比べ、平均寿命は短く、幼児死亡率が高く、さらに、ノーザンテリトリーやクイーンズランドでは、アボリジニのアルコール中毒とそれに伴う犯罪検挙率が高く、問題は多い。
長い間迫害され無視され続け、土地との精神的結びつきを失い、経済的自立を失った人々が、いまだ、新しい生活になじめず苦悩している姿が浮かび上がってくる。
最近のアボリジニの権利意識の高まりとともに、アボリジニは過去のオーストラリア政府が行った1910年代から70年代にかけての10万人以上のアボリジニの子供たちを親元から引き離し、白人の家庭などで養育させた「白人同化政策」に対する謝罪を求めている。
政府も過去の行為を謝罪するという”和解”が政治上の大きなテーマになっているが、ハワード政権は自由党の支持基盤である保守層への配慮と賠償訴訟の問題を考慮して、過去の白人社会がしてきたことは「遺憾」であるが、「謝罪」はしないという立場を取っている。
ただし、シドニーオリンピックは、立候補の段階から「アボリジニら先住民に貢献する五輪の開催」を約束し、和解への第一歩にしようとていた。
そのため、聖火リレーは、アボリジニの聖地のエアーズロックを出発点とし、アボリジニのノバ・ペリス・ニーボーン(アトランタ五輪女子ホッケー金メダリスト)を第一走者とし、最終走者にはキャッシー・フリーマン(シドニー五輪400m走金メダル獲得)を選んだ。
また、アボリジニの文化を広く理解してもらうため、開会式で2000人のアボリジニ参加し、五輪を記念して開くアートフェスティバルではアボリジニが中心となった。
その中で2007年の国政選挙でアボリジニへの謝罪を公約に掲げて圧勝し、政権を奪取したラッド首相は、2008年2月13日に隔離・同化政策について、「『盗まれた世代=強制的に親元から引き離し、白人の家庭などで養育された世代』とその家族たちが受けた苦しみや痛みに対し、また、誇りある人々と文化が受けた侮辱に対し、連邦議会で謝罪を表明した。
ただ、ラッド首相はアボリジニに対する補償金の支払いには応じない方針で、その代わり、教育や医療、経済面における、アボリジニとその他豪州国民との格差是正に全力で取り組む決意を表明した。
ラッド首相の一歩は非常に大きな一歩ではあったが、侵略者による人種差別・民族浄化を、ほとんど謝罪だけで済ました今回の対応はアボリジニにとっては、和解へ向けての第一歩でしかない。
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アボリジニの絵画
posted by オージー太郎 at 02:00| シドニー

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