2009年07月20日

女性初のシドニー市長(Clover Moore)

 Clover Moore(1945年10月22日生)は07年の選挙でシドニーで初の女性市長に選ばれ、今日に至ります。
 
 彼女はGordon(シドニー北部)で育ち、シドニー大学で学びました。 在学中に建築家のPeter Mooreと結婚し、卒業後、夫婦で5年間、ロンドンで暮らしました。

 帰国後、犯罪の多い南シドニーのRedfernに住み、人々の暮らしの貧しさに触れ、これが、彼女を政治家へと駆り立てました。

 そして、1980年には南シドニー市の議員に選出されました。南シドニーがシドニー州に合併されたため翌年彼女はシドニーの市議会議員になりました。

 1988年に無所属のままで州下院に立候補して、当選しました。さらに力をつけ、1991年選挙では、43%の得票率を得て、再選を果たしました。また、他の独立系の議員とも連携を深め、汚職事件にも敢然と向い、自由党の州首相を鋭く批判し、1992年彼を退陣に追い込みました。
 
 その後、マディグラ(ホモとレスビアンの祭典)をサポートしたことから、彼らからの支持も集まり、着実に地歩を固め再選を重ねた。

 2004年に州政府の労働党は労働党議員を増やすためシドニー選挙区と南シドニー選挙区を突然統合することを決めました。この決定は、彼女の選挙区にも不利に働くことが予想されました。

 このような情勢の中、連邦政府の大臣を務めていた労働党のリー氏がシドニー市長に立候補しました。これに対し、彼女も労働党の暴挙に反対して遅ればせながら立候補しました。

 リー氏は実業界からの多大な支持を受けていたが、ふたを開けてみると彼女の圧倒的な勝利となりました。

 その後市長として再選され現在に至っています。

Clover Moore
CloverMoore.jpg 
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2009年06月28日

東京裁判の裁判長を務めたオーストラリア人

ウィリアム・ウェブ(Hon Sir William Flood Webb )
  
 クイーンズランド州ブリスベン生まれ(1887年1月21日 - 1972年8月11日)

 東京裁判(極東国際軍事裁判) 裁判長

 クイーンズランド大学法学部出身で、東京裁判の裁判長に任命された時は、クィーンズランド州高等法院主席判事を勤めていた。

 東京裁判は、昭和二十一年から二十三年まで二年間、東京の市ケ谷陸軍士官学校跡で開かれ、戦勝国による敗戦国を裁くと言ったものであり、今でも様々な疑問が投げかけられています。

 ウェッブ判事はオーストラリア住民150人が、日本軍によって虐殺されたと報じた「ウェッブ報告」で国際的に知られた人物であり、また、天皇戦犯論を強く主張していたオーストラリア政府の意見にも与している人物であり、ウェッブ判事では公正な裁定が行なえないとする意見が強かった。

 しかし、マッカーサーはウェッブ判事を東京裁判の判事に任命し、しかも、裁判長据える決定をした。

 その理由は、ウェッブ判事予想される判事団の中でもっとも激しい反日意見の持ち主であるから、逆にウェッブ判事を裁判長にして判事団をコントロールすれば、アメリカが取ろうとしている天皇制維持を達成できると考えたためと言われている。

 2年半の審議を終えて昭和23年11月12日には判決が下り、弁護士たちの努力もむなしくウェッブ裁判長は、25人を有罪と宣告し(そのうち7人が死刑、16人が終身刑、2人が禁固刑)、オーストラリアに戻っていった。
 ただ、オーストラリア自身は、死刑制を廃止していたので、死刑には反対票を投じた。
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2009年06月21日

オーストラリアンルールズ・フットボール

オーストラリアンルールズ・フットボール(オージーボール)

1.オーストラリアンルールズ・フットボールとは?  
            
  オーストラリアンルールズ・フットボールは、通称、オージーボールと呼ばれ、オーストラリア生まれの、しかもオーストラリアでしかプレーされていないスポーツです。

 オーストラリアではラグビーと並び、最も人気があるスポーツで、1858年に Thomas Wentworth Willsと Henry Harrisonらが、友人と共に駐屯していたアイルランド軍の兵士達がプレーする Gaelic Footballや、イングランド人が Union Ragby(ユニオン・ラグビー)の原型となるフットボールをやっているのをみて、オーストラリア人的な、独自のフットボールを考案し、Melborne Football Club(メルボルン・フットボール・クラブ)として、創設したのが始まりと言われています。

 最初、クリケット場を使って行われたため、長円形のスタジアムとなりました。
 
2.基本ルール

 グランドは長直径165M、短直径137Mの楕円形をしており、その両端にはそれぞれ4本のポールが立っています。中の2本の間にボールを蹴り込めばゴールで6点、外の2本の間に蹴り込めばビハインドと言って1点得点することができます。

 この大きなグランドに1チーム18人が出て戦います。ボールは皮製で、ラグビーボールと同じように楕円形をしていますが、ラグビーのものよりひとまわり小さくなっています。

 ゲームは、1クォーター25分で4クォーター行われます。 ゲームはグラウンド中央のボールアップから始まり、それぞれのゴールへ向け、キックやハンドパスで進んでいきます。

 キックを使う場合、ボールが10m以上飛行した後ダイレクトで取った場合、マークとなります。マークを取ると、プレーヤーは、その地点からのフリーキックか、試合続行かを選ぶことができ、大変有利になります。そのため、試合中は、このマークを得ようとして空中での激しい争奪戦も見所の1つになっています。

 パスをする場合も投げるのは禁止されており、ハンドパスは一方の手にボールを持ったまま、もう一方の手でげんこつを作り、そのげんこつで打って行います。

 もうひとつ禁止されているのは、ボールを持ったまま15m以上走ることです。15mの手前で一度ボールをバスケットのドリブルのように地面に接触させるとそこからまた15mは知ることが出来ます。

 なお、ボールを持ったままタックルされた場合は捕まったほうが反則を取られるので、ボールは常にすばやく選手から手放されることとなり、試合は実にスピーディーに展開され大いに観衆を楽しませてくれます。

3.クラブチームの形成からAFLへ

 1850年代に生まれたオーストラリアンルールズ・フットボールは、70年代後半までに人々の関心を集めるようになり、1877年、メルボルン・フットボール・クラブが新たにVFA(ビクトリアン・フットボール・アソシエーション)として発足しました。(VFAはオーストラリアでもっとも古い統括団体です)

 そして、1896年10月2日に、8つのクラブチーム(Carlton/カールトン, Collingwood/コリンウッド, Essendon/エッセンドン, Fitzroy/フィッツロイ(現在Brisbaneに合併),Geelong/ジロング, Melbourne/メルボルン, South Melbourne/サウス・メルボルン(現在Sydneyに移管), St Kilda/セントキルダ)により、VFL(ビクトリアン・フットボール・リーグ)が形成されました。

 1982年に South MelbourneFC/サウス・メルボルン・フットボールクラブが シドニーへ移転した頃(現Sydney Swans/シドニー・スワンズへ)から、徐々にそれまでのVictoria州のカラーからネーションワイドに変わり、1990年正式にVFLからAFL(オーストレイリアン・フットボール・リーグ) へ改名されました。

 現在はオーストラリア全国で16チームあり、優勝決定戦は、Grand Final(グランド・ファイナル)とよばれ、1897年から毎年 MCG(メルボルン・クリケット・グラウンド)で9月上旬に開催されています。
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2009年06月14日

アボリジニ芸術

 古来、アボリジニ芸術はいろいろな媒体を使って作成されていた。種類を挙げると、岩絵、岩彫り、砂絵、木皮画、木彫りなどがある。最も古いものは南オーストラリア州のオーラリィーに残っている岩絵であり、3万年前の作成されたもので、だれがいつどんな目的で制作したのかは不明である。
 木皮画は北部準州のいくつかの場所で見られ、初期入植者の記録によるとアボリジニがユーカリの木皮で作った小屋の内側に、赤土や黄土、白土を顔料として、木の棒や髪の毛で描いたものであった。
 北部準州のアーネムランドでは、動物や人間の姿が内臓とともに描かれているものが多く、レントゲン画法と白人が命名した。これらの絵柄はすべて宗教的儀式に由来している。
 現代のアボリジニ芸術を語る上で中央オーストラリアは重要な場所である。1970年代にシドニー美術教師をしていたジェフ・バードンが、中央オーストラリアのパプンヤというコミュニティでカンバスにアクリル絵の具を使って描くことをアボリジニに薦めたことが、きっかけとなり、現代アボリジニ絵画が成立した。
 これは、点描とシンボルを使って伝統的な図柄を表現するもので、ヨーロッパの手法とアボリジニの芸術との融合であった。
 1994年には現代のアボリジニ芸術の展覧会がベルリンで開催され成功を収めたのを端緒として、その後、全世界の各地で開催されている。

 右の画像も現代アボリジニ絵画の作品です。⇒
posted by オージー太郎 at 10:44| シドニー | Comment(0) | TrackBack(0) | オーストラリアの名物、特産品、風物詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月31日

オーストラリアの政治

1.議会制度

  連邦議会は二院制で、そこの第1党の党首が首相となって組閣し、 内閣は議会にのみ責任を負うという議員内閣制が採用されている。
  下院の定数は148人で、任期は3年で、小選挙区制が採用されている。下院は国民代表府としての性格が強いため、各選挙区の1票の比重がほぼ等しくなるように区割りされている。現在は96年3月以来、自由党率いるハワードが国民党等と連立して、政権を保持している。
 一方、上院は州代表府としての機能を担うとされ、各州一律12議席が割り当てられ、首都特別地域と北部準州には各2議席の合 計76議席で構成されており、3年毎に半数が改選される。
  州権を擁護するため、上院の権限は強く、予算発議権と首相の選出権を除いては、下院と同等の権限を与えられている。

2.立憲君主制

 1901年に制定された憲法では、すべての執行権は、英連邦の一員として元首である英国女王の名代である連邦総督に帰属すると定めている。
  憲法では、首相や内閣に関する規定はまったく定められておらず、慣例的に連邦総督は、首相を任命し、その首相の助言に従って執行権を行使するものとされている。
  実質的には、行政の執行権は、首相にあるが、憲法理論的には、連邦総督は、その独断で閣僚を罷免したり、議会を解散できる権限を持っていることになる。
  実際、1975年11月には、カー連邦総督が、突然労働党のウィットラム首相を罷免し、上下両院を解散するという前代未聞の事件が起こった。
  選挙の結果、労働党が大敗し、カー連邦総督の判断は一応支持された形となったが、大きな波紋を残し、その後、立憲君主制廃止、共和制移行論が高まることとなった。 

3.連邦制

 オーストラリアは連邦制を採用していることから、各州にも議会と政府が存在している。
  連邦議会による立法作業の対象となるのは、外交・国防・貿易・移民・通貨などの分野に限定されており、州内の経済活動・警察・教育・開発事業・農業・保健などは州の権限に属する。
  一応は、色分けはされているが、時として、連邦政府と州政府との間で衝突が起きることもあり、こうした衝突は連邦高等裁判所に持ち込まれることとなる。


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2009年05月04日

アボリジニとの和解

 アボリジニ政策の転換後、アボリジニの人口は増え始め1991年の調査では26万5千人いるとされた(2008年には島嶼部を入れて46万人で全人口2000万人の2%)が、白人入植時を依然下回っている。
  また、諸政策にもかかわらず、アボリジニの失業率は高く平均収入は全オーストラリア平均の半分ほどで、彼らの収入の大半は政府からの福祉手当、失業手当によって構成されている。 
  随分改善されてきてはいるが、一般オーストラリア人と比べ、平均寿命は短く、幼児死亡率が高く、さらに、ノーザンテリトリーやクイーンズランドでは、アボリジニのアルコール中毒とそれに伴う犯罪検挙率が高く、問題は多い。
  長い間迫害され無視され続け、土地との精神的結びつきを失い、経済的自立を失った人々が、いまだ、新しい生活になじめず苦悩している姿が浮かび上がってくる。
  最近のアボリジニの権利意識の高まりとともに、アボリジニは過去のオーストラリア政府が行った1910年代から70年代にかけての10万人以上のアボリジニの子供たちを親元から引き離し、白人の家庭などで養育させた「白人同化政策」に対する謝罪を求めている。
  政府も過去の行為を謝罪するという”和解”が政治上の大きなテーマになっているが、ハワード政権は自由党の支持基盤である保守層への配慮と賠償訴訟の問題を考慮して、過去の白人社会がしてきたことは「遺憾」であるが、「謝罪」はしないという立場を取っている。
  ただし、シドニーオリンピックは、立候補の段階から「アボリジニら先住民に貢献する五輪の開催」を約束し、和解への第一歩にしようとていた。
  そのため、聖火リレーは、アボリジニの聖地のエアーズロックを出発点とし、アボリジニのノバ・ペリス・ニーボーン(アトランタ五輪女子ホッケー金メダリスト)を第一走者とし、最終走者にはキャッシー・フリーマン(シドニー五輪400m走金メダル獲得)を選んだ。
  また、アボリジニの文化を広く理解してもらうため、開会式で2000人のアボリジニ参加し、五輪を記念して開くアートフェスティバルではアボリジニが中心となった。
 その中で2007年の国政選挙でアボリジニへの謝罪を公約に掲げて圧勝し、政権を奪取したラッド首相は、2008年2月13日に隔離・同化政策について、「『盗まれた世代=強制的に親元から引き離し、白人の家庭などで養育された世代』とその家族たちが受けた苦しみや痛みに対し、また、誇りある人々と文化が受けた侮辱に対し、連邦議会で謝罪を表明した。
 ただ、ラッド首相はアボリジニに対する補償金の支払いには応じない方針で、その代わり、教育や医療、経済面における、アボリジニとその他豪州国民との格差是正に全力で取り組む決意を表明した。
 ラッド首相の一歩は非常に大きな一歩ではあったが、侵略者による人種差別・民族浄化を、ほとんど謝罪だけで済ました今回の対応はアボリジニにとっては、和解へ向けての第一歩でしかない。

ここをクリック
アボリジニの絵画   
posted by オージー太郎 at 02:00| シドニー 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | オーストラリアの名物、特産品、風物詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

マボ判決と先住権

 オーストラリアは、移民文化が多数並存する多文化社会であるだけでなく、先住民族アボリジニの住む多民族国家でもある。アボリジニなど今日先住民族と呼ばれる人々は長い間民族として取り扱われるどころか人間としてもまともに扱われてこなかった。
  しかし、20世紀になり、民族自決権がヨーロッパの民族集団に認められた後、アジアアフリカの植民地に対しても適用され多くの新興国が誕生した。これに、触発され、先進国内の民族マイノリティーや先住民族の民族自決要求が活発化し、先進諸国も、彼らの長い居住の歴史と独自の文化、生活を認め、自治権を拡大する政策が取られるようになった。
 こうした流れから、最近のオーストラリアのアボリジニの動きを見ると1992年6月の連邦最高裁による「マボ判決」が大いに注目される。
この事例は、オーストラリアの代表的先住民族の1つであるトレス諸島民のエディ・マボとクィーンズランド州政府との間に生じた小島(マレー島)の所有権をめぐる争いであった。
マボの主張は「マレー島は先祖伝来の島であると同時に州政府の所有とはいえ何ら開発が加えれられたものではない」として返還を求めるものであった。
マボ本人は、判決を待たずして、死亡したため、原告不在により、土地の変換は認められなかったが、連邦最高裁の判決では「アボリジニ、トレス諸島民はもともとの土地所有者であり、先住者としての土地に対する権利(native title)は白人の入植によっても否定されていない。」とするものであった。
 これを受けて1993年に連邦政府は補償措置プログラムを提示し、同年12月に先住権原法(native title act)を成立させた。
 この法律によって先住民が土地とのつながりを明らかにできた場合、土地の返還あるいは補償の請求手続が確定された。また、証明不可能な場合も考慮して土地買戻しの基金も設立された。
 こうして、アボリジニも、その地位を与えられ、オーストラリア国内で特別地位を占める人々であることが承認されることとなった。
 とはいえ、連邦政府が、アボリジニの独立国家を認めることはないし、アボリジニ自身もそれを不可能と考えており、その結果、オーストラリアは多様な移民による多文化社会化すると同時に、多民族国家の性格も強めるであろう。
posted by オージー太郎 at 23:13| シドニー 曇り| Comment(1) | TrackBack(0) | オーストラリアの名物、特産品、風物詩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月25日

オーストラリアの芸術家紹介

今日はオーストラリアの著名な芸術家2名を紹介します。

1.Ken Done(ケン・ドーン)

 Ken Done(ケン・ドーン)は1940年にシドニーに生まれ、14歳のときにイースト・シドニーの国立美術学校に入学し、5年間通いました。

 その後、広告関係の仕事に携わり、ニューヨークロンドン、シドニーで活躍し、40歳の時に初めて、シドニーで個展を開き、その後、オーストラリア、日本、フランスなどで延べ40回個展を開き、この10年間は、主に絵画を中心に活動しています。
 
 彼が惹かれる先達のアンリ・マティスやラウル・デュフィなどは、晩年、地中海の陽光の中で暮らしてはじめて明るい色彩の乱舞の世界を掴んだが、ケン・ドーンは若くして、オーストラリアの陽気な光を全面に湛え、独自の色彩のハーモニーを奏でる作品を生み続けています。

 1992年に日本の文化勲章に当たるOrder of Australiaを受賞し、まさに、オーストラリアを代表する芸術家のひとりです。


Ken Done(ケン・ドーン)の作品






2.Eva Hannah(エバ・ハナ)

 Eva Hannah(エバ・ハナ)はオランダに生まれ、幼少の頃(1948年)にオーストラリア移住しました。

 1950年代後半にはイーストシドニー技術専門学校で絵画の才能が開花しました。

 在学中は、快活で明るいボヘミア地方の人々のライフスタイルに傾倒し、また、フランスのダフィー、マチスなどの印象派の画家たちの影響も強く受けました。

 その後もアーティストの街と呼ばれるシドニーのパディントンで創作活動を続け、1975年には初の個展を同地で開きました。
 
 現在ではオーストラリアを代表するアーティストと呼ばれています。

 彼女の作品の明るく活発で独特な色使いと、躍動感のある伸び伸びとした画風は退屈で憂鬱な気分を一瞬にして明るく楽しいものに変えてしまうものがあります。

 オーストラリアの風土、アウトドアなライフスタイル、シドニーの明るい美しさが、Eva Hannah(エバ・ハナ)に大きなインスピレーションを与えているからかも知れません。


Eva Hannah(エバ・ハナ)の作品




posted by オージー太郎 at 22:59| シドニー 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月17日

オーストラリアの人気スーパーモデルMiranda Kerr

 今日はオーストラリアの人気スーパーモデルのMiranda Kerrの紹介です。

 彼女はニューサウスウェールズ州シドニー出身で1983年4月20日生まれの25歳。

 13歳からモデルを始める。オーストラリア人モデルとして初めてヴィクトリアズ・シークレット婦人服美容用品を扱うアメリカの企業であるが、特にセクシーな下着の販売で知られている。1990年代から、スーパーモデルを使ったランジェリーファッション・ショーで有名になった。このショーはテレビでも放映され、それをきっかけにトップモデルになった中にタイラ・バンクス、レティシア・カスタ、ハイジ・クラムなどがいる)に起用され、ヴィクトリアズ・シークレット・エンジェルとなる。

Miranda Kerrの画像はこれをクリック!

Miranda Kerrの動画はこれをクリック!


posted by オージー太郎 at 02:10| シドニー 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

オーストラリアの動物(3)

1.ワライカワセミ

 オーストラリアの生息するカワセミの中で最大の種。体長約40〜45センチ。愛嬌のある大きな白い頭で、目の周りがやや黒く、羽は茶褐色である。
 くちばしが大きく、「カカカカ」と人間の笑い声のような声で鳴く。開けた森林やサバンナに生息するが、都市部の公園やゴルフ場、キャンプ場などでも頻繁に見かけることができる。
 枝にとまって獲物を見張り、強大なくちばしで捕食する。
 シドニーオリンピックのマスコットの一つ、オリーのモデルとなっている。
ワライカワセミ










2.エミュー
 エミューは鳥類の中ではアフリカのだちょうに次いで2番目に大きく、体長2m、体重50キロほどに成長する。タスマニアを除くオーストラリア全土に棲息し、時速40km以上のスピードで原野を疾走する。
 卵を抱くのは雄で、約60日間抱いて暖め続ける。その間、その雄は、餌を食べないので8kg近くも体重が減る。
 エミューは好奇心が強いが、性格はおとなしく、だちょうと異なり人を蹴ることもなく、また、寒冷地域でも亜熱帯地域にも順応するので飼いやすい動物である。
エミュー









  
3.クロコダイル
 ポール・ホーガン主演の映画クロコダイル・ダンディに出てくるように、オーストラリア北部はワニの棲息地として知られている。
 オーストラリアには2種類のワニがいる。
 ひとつは、体長が2mから3mほどの淡水に住み、おとなしいフレッシュウォータークロコダイルである。
 もうひとつが、淡水、海水どちらにも住み、大きいものでは体長が6mを超え、地球上の爬虫類の中で最大のソルトウォータークロコダイルである。このクロコダイルは非常に獰猛で人を襲う場合もある。

クロコダイル

posted by オージー太郎 at 23:37| シドニー | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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